お坊さんからのお知らせ
勇猛精進日記

2月15日は何の日?常楽会です。

2016年02月15日

本日2月15日はお釈迦さまが入滅された日です。

常楽会とは、お釈迦さまが入滅された日にその徳を偲び、感謝を捧げるために行う法要で、一般的には「涅槃会」といいます。

涅槃とは、お釈迦さまの入滅と、お釈迦さまが完全な悟りを得たことを指しますが、私たちの宗派ではこの涅槃会を、煩悩を滅し涅槃を得たお釈迦さまの徳性を表す四徳「常・楽・我・浄」から、その前の二字「常楽」をとって「常楽会」と呼んでいます。「常」とは永遠に変わらぬこと、「楽」とは苦悩がなく安らかなこと、「我」とはなにものにも縛られず自由自在であること、「浄」とは一切の汚(よごれ)を離れていることです。
常楽会(涅槃会)では普通、涅槃像を掛け『涅槃経』や『遺教経』などお釈迦さまの入滅時の様子や、最後の教えを説いたお経を読誦します。涅槃像には、お釈迦さまの入滅されたお姿と、それを嘆き悲しむ多くの弟子や信者、動物たちの姿が描かれています。

春の足音

2016年02月05日

立春も過ぎ、境内の紅梅が五部咲きになりました。本日は天候もよく春の足音が聞こえてくる一日です。
立春とは1年間を24に分けたときの二十四節気の第1に当たります。
この二十四節気は太陽の角度(太陽黄経)によって決められています。
太陽黄経が315度のときが立春とされています。この立春から立夏までのことを『春』と呼ぶのです。そして立春の日が1年間で最も寒い日となっています。
また、立春の1日前が節分で、豆まき、恵方巻の日です。
立春の早朝に、禅寺では「立春大吉」と大書した紙を、門に貼るという習慣があります。

意味は「謹賀新年」に近いらしいのですが、この文字は縦書きにした場合、左右対称になるために、この立春からの一年間に災難などに遭わないという厄払いのようなものです。

一説には、同じ「立春大吉」の符札を、寺院や堂舎の入り口の左右に貼るとの記述もありました。

民家などでも、一年間災難に合わないようにとのおまじないとして、「立春大吉」の文字を、墨で半紙や和紙に書き、立春の日に柱などに貼っておくという方法もあるようです。

温故知新

2016年02月01日

先人の言葉や習慣には、さまざまな教えが詰まっている。その教えに触れることで、春の雪解けに新たないのちが芽吹くように、自身に新しい知恵が生まれてくる。

えくてびあん

2016年01月26日

立川市の無料情報雑誌「えくてびあん」2月号に正楽院の大曼荼羅が2ページにわたり取り上げられました。

八相成道

2016年01月19日

釈尊の人生は「八相成道」あるいは「八相示現」「釈迦八相」と云う8つ主要な出来事で構成され理解される。下記の如くである。
①降兜率。。。。釈尊は幾世も修行を積み重ね、前世、兜率天という天界で修行をほぼ完成し最後の生として「仏陀」になるために白像に乗って人間界に降りてきた。前世から今世への結節点。(下天ともいう)
②入胎。。。。釈尊は自分が生まれるにふさわしい家系はどこかと兜率天から人間界を見据え釈迦族、摩耶夫人の右脇より胎内に宿ったこと。
③出胎。。。。ルンビニーの花園で摩耶夫人の右脇から誕生するや七歩歩き「天上天下唯我独尊」この世を掌握し自分がこの世の人々の救済をするため生まれてきたことを宣言した。
④出家。。。。釈尊の人生においての分岐点「四門出遊」。城からでようとしたとき東西南北のそれぞれの門の外で人生の現実を目のあたりにする。「東門」力ない老人がいた。「南門」やつれて苦しんでいる病人に出会う。「西門」死者の葬列に出会う。「北門」輝かしい出家者に出会う。人間がさけて通れない老病死に対する深い思いが出家の動機である。29歳で釈尊は全てを捨て出家、修行生活を始めた。
⑤降魔。。。。釈尊は様々な師の元で修行し短期間で最高の境地に達したといわれている。そしてひとり6年にも及ぶ苦行を行ったが悟りは得られず、極端に偏らない「中道」こそ真理にいたる最善の道だと考える。後にブッダガヤーと呼ばれる場所で禅定に入った。そこで、悪魔の誘惑(釈尊は煩悩を悪魔と例えている)と戦い、全てを降伏させた。「成道」直前の出来事。悟りを妨げる悪魔を下した。
⑥成道。。。。人間苦が明らかになり、その滅尽の法も明らかになる。「成道」縁起の法も悟り、35歳にして悟りを開いた。
⑦転法輪。。。。法を人々に説くことが転法輪というが、釈尊ははじめに悟りの内容を人々に伝えるつもりはなかったという。難解な真理を人に理解させることは出来ないと思っていたようだ。その気持ちに気付いたバラモン教最高神ブラフマンが教えを説かなければ世界には希望がないと懇願し説法を決意する。これを梵天勧請という。以前苦行を共にした5人の比丘に説法するため旅に出る。この説法を初転法輪という。その後多くの人々が帰依していく。
⑧入滅。。。。初転法輪後、釈尊は説法の旅へと出ていた。多くの人々が帰依したといわれている。最後の説法の旅の途中、施した食事の後激しい下痢に見舞われ老いた身に生命の危機が訪れた。その供養は功徳と称えたことは有名である。苦しみながら旅を続け、クシナガラという寒村の2本の沙羅双樹の下に横たわり涅槃に入る。釈尊80歳。

無病息災

2016年01月12日

新しい年を迎え、自分自身は勿論のこと、家族、親族、縁ある人々をはじめ、全てのいのちあるものが健康で安らかに過ごせますよう、仏さまに手を合わせ祈りましょう。

謹賀新年

2016年01月02日

あけましておめでとうございます。
新春を迎え皆様のご健康ご多幸お祈り申し上げます。
本年も変わらぬお付き合いの程宜しくお願い申し上げます。
住職、副住職共に元日より高幡不動尊にて助法でございます。
                  二〇一六年 元旦